【歴史の真実】朝鮮通信使、実は韓流の起源だった!

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コリアナウ&theqoo「朝鮮通信使は当時の韓流ブームの起源となる?、」という記事に対する韓国人らしい人からのコメントをご紹介します。

引用:https://x.gd/GR7Tv

とある韓国人の反応

江戸庶民は来るのを熱望していた。当時にアイホンがあれば、すごかっただろう。

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韓国人の反応

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日本へ行くのはお  を くため

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↑なるほど

 

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沢山だい だろうな

 

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どう思ったかということは、

朝鮮の価値は豊かに暮らすことが重要な価値ではありませんでしただから日本が豊かで幸せに暮らしているのを見て羨ましがったとは思う

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↑日本人たちは、なんでこんなに活発なの?と驚いたという記録があります。

 

 

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元禄時代以外は朝鮮が相対的に悠悦だったはずです
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日東壮遊歌に詳細な記載があります

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>修学能力試験にも出たんだけど..

 

 

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懐かしい、試験に出たな

日東壮遊歌』(にっとうそうゆうか、イルトンジャンユガ)とは、江戸時代の1763年(宝暦13年)から1764年(明和元年)にかけて来日した第11次朝鮮通信使(目的は徳川家治(在職1760年〜1786年)の将軍襲職祝い)の一員(従事官の書記)として来日した金仁謙(ko:김인겸、キム・インギョム、当時57歳)の著書で旅行記である。

総勢500人近い人数に上った通信使一行の日本滞在は8ヶ月に及び、全行程に11ヶ月をかける長旅で、同通信使団の記録としてはリーダーであった正使の趙曮(チョ・オム)によって漢文で書かれた『海槎日記』などもあるが、『日東壮遊歌』の特徴的な点は、当時の知識階級男性の著作としては珍しく、全てハングルで書かれ、律文詩(歌辞(カサ)と呼ばれる文学様式)の形式を採用している事にある

 

 

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おんなこともかいてある

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↑よかったらしい