日韓スポーツ交流の成立過程の整理

このサイトでも多くの話題を取り上げておりますスポーツ関係のコメント。

今でこそ、野球、サッカー、その他のスポーツ種目で切磋琢磨して交流試合や世界大会、アジア大会などでその力を競っています。しかし、今のような普段のスポーツの対戦を行うまでには多くの両国の関係者の努力と国民の理解、さらには政治的なバックグランドがあって成り立っています。

そこで、表面的な両国のスポーツに対する感想やコメントの土台となる、両国の交流の成立について、少しでも背景を押えておくことは、このサイトの中での韓国人の反応を理解する上では役立つものと考えております。

そこで、私が、幾つかの文献などを整理している中で、最も整理されている紀要論文がありましたので、紹介するとともに、皆さんの理解の一助となれば幸いです。

 

参考文献

日韓スポーツ交流の成立過程いついて

小薗井昌喜 九州共立大学スポーツ学部紀要2008年3月

https://kyukyo.repo.nii.ac.jp/?action=pages_view_main&active_action=repository_view_main_item_detail&item_id=211&item_no=1&page_id=13&block_id=21

 

小薗井は、スポーツ交流の成立の過程に関する記録が残されるケースが少ないと述べており、今紀要論文の整理は斬新性を一定程度担保したものとしての評価がされるべきではないかとも思慮する。その中、

スポーツ交流の盛隆の起爆となったのは、2002年のサッカーワールドカップであったと述べています。その前の段階の成立は、地域の復興や、利害を目的とした背景が主であったと言われています。戦前派(小薗井の言葉をそのまま使用2002年前まで)の人たちがどのように交流を推し進めてきたのか、そして、次世代につないでいったのかの成立過程を整理しています。その中で、政治的な課題を解決する目的としてスポーツが利用されていた、李相佰、今でもバスケット大会など冠が施されている大会が続いています。彼は、IOCのメンバーであり、個人的な力量で交流試合が開催されるなどが中心でした。ただし、韓国側からの打診によって各種の大会が実施されてきたのが実際多かったわけです・。その成立には一国の一方的なラブコールで成立するわけでもなく、双方の協力があっての成立であったわけであります。

 

そして、

その、記録がまとめられている一覧表が、小薗井の紀要文献で紹介されています。スポーツ関係に興味の高い読者の方にはその一覧表を取り寄せて、どのような経過で成立してきたのかを確認していては如何でしょうか? 戦前はの方々のいろいろな努力が、今の国際大会などの基盤を作り上げてきた一端に触れることができるのではないでしょうか? 一部抜粋(以下)

今となっては当たり前の、日韓の各種試合が、それまでの努力の記録を知ることで、敬意を持って両国のスポーツの試合を別の角度から観ることができるのではないでしょうか。