【失言】韓国人「日本の政治家と同じじゃねーか💢」イ・ジェミョン新大統領が物価を知らず炎上中www

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引用・https://www.fmkorea.com/

全羅南道務安に日帝が建てた忠魂碑の行方が分からない…「素材情報提供を」
2025.08.05|午後3:12
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日帝強制動員市民の会は日帝が過去に全羅南道務安郡望雲面の日本人小学校正門に建てた「忠魂碑」の行方を探すと5日明らかにした。忠魂碑は露日戦争などに参戦して死亡した日本軍を追悼するために日帝が建てたものだ。碑石の中央には忠魂碑という字句が刻まれており、字は日本陸軍大将出身の一戸兵衛が書いたことを明らかにしている。

この碑石について務安郡は2016年、ホームページで「日本人小学校正門前に立っていた忠魂碑という碑石だが、陸軍大将一戸兵衛が建てた碑だ。光復になって橋の石として使われていた碑石をこの村の住民であるナム・スンヨン氏が取得し保管している植民地時代の遺物だ。当時、学校の前を通るすべての人はこの忠魂碑に挨拶をしながら通らなければならなかった」と明らかにしている。

碑石保管住民の死亡後、所在不明

しかし、碑石を保管していたとされる住民のナム氏は数年前に死亡し、その後、この碑石の行方は不明の状態だという。市民の会は最近、この碑石の行方を探るため、務安の望雲面所在地に2つの横断幕を掲げて住民の情報提供を待っている。

市民の会によると、日本が各地に忠魂碑の建立に乗り出したのは露日戦争後のことで、大正天皇の即位(1912年)記念事業として地域の在郷軍人会分会が献金を募集し、小学校の片隅に建立したことが多いとされている。

日帝強占期、望雲面一帯は日本人が多数移住して暮らした。日帝末期には望雲飛行場建設などで日本人流入が増え、務安にある2つの日本人小学校の一つである南小学校が現望雲初等学校の席に入ったりもした。日本人在郷軍人会分会があった場所でもある。

市民の会の関係者は「日帝が建てた忠魂碑は、我々に日帝植民統治の傷を再確認する象徴であり、戦争にしがみついた日本軍国主義の狂気を映す鏡のようだ」とし「日帝侵略の歴史を示す歴史資料として活用されるよう光州全南市道民の情報提供を待つ」と話した。

翻訳元:https://n.news.naver.com/mnews/article/047/0002483460

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