韓国人「韓国初の “数学のノーベル賞” 受賞者の生い立ちが壮絶過ぎた…!」「韓国教育制度は終わってるな」

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韓国のネット掲示板MLBPARKから「ホ·ジュン教授成長史要約」という記事をご紹介します。

引用・翻訳元:https://bit.ly/3nNCxTY

 

とある韓国人

ホ·ジュン教授成長史要約

 

幼い頃九九もできない子供だった。

すなわち数学をあきらめた者「数学放棄者」だったのに反転に成功した彼の壮絶人生。

 

幼い頃、学校の勉強に全く関心を持たなかったし、数学の成績はあまり。

中学校1年生の時、父が数学問題集を解けと言ってくれると密かに答案用紙を見て書き写した。

それを知った父が答案用紙をなくしてしまうとホジュンは書店に行って答えを書き写し 笑笑笑

 

その姿を見て数学者の父は水泡に帰す…息子をあきらめてしまう。

 

中3になって数学競技大会とか科学高校に行こうかと思ったけど

担任の先生はもう遅いと言って一般高校に進学。

健康上の問題もあったがホジュンは夜間自律学習生活がとても嫌いで、詩人になりたいとも思い、高校在学1年で退学。

 

ホジュン本人は当時も自ら賢いことを知っていたが、それを学校の成績で証明する方法を知らなかったと言う。

小学校の時数学成績が悪かったし数学は退屈だと感じて興味がなかったと。

代わりに創造性を表現する方法で詩を書くのがいいと思ったそうだ。

高校を退学してから1年間は国立中央図書館で様々な文学本を読みながら過ごす。

 

その後は大学に行くために浪人生の塾に通って、大学入試の結果、ソウル大学自然科学大学物理学科に入学。

2007年学部4年生(6年目)の24歳の時に日本を訪れたフィールズ賞受賞者の日本人・弘中先生の講義を聞いて数学に興味があると感じる。

ソウル大学に3年間滞在した弘中とご飯友達の話し相手として親しくなって3年間緊密に関係を維持しながら個人レッスン同様の集中教育を受ける。

弘中はホジュンにSingularityTheoryという数学理論を集中的に教え、

ヒロナカ本人が一生解こうと努力していた難題について多くの話を交わすことができた。

ソウル大学数学科修士2年を終えた後、2011年秋、弘中の推薦書のおかげで米国UIUCに留学。

2012年留学初年度の29歳の時、Read’sconjecture 証明して数学界に名が知られ始める。

この時、証明のために使った知識がソウル大学時代、弘中に学んだSingularityTheory。

ミシガン大学に移り、2014年博士号。

2015年32歳で代表的な業績であるRotaconjectureを証明し、一気にフィールズ賞の有力者として浮上。

07年、ソウル大学4年生の時、弘中に会って数学に本格的にはまって以来、わずか8年で成し遂げた業績。

フィールズ賞は、若い数学者のすぐれた業績を顕彰し、その後の研究を励ますことを目的に、カナダ人数学者ジョン・チャールズ・フィールズ の提唱によって1936年に作られた賞のことである。

Wikipedia

 

 

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韓国の反応

とある韓国人

結論的に見ると、韓国の小中等教育機関に魅力を感じる地点が一つもありません。

 

 

とある韓国人

米国国籍取得項目が抜けているようだ

 

 

とある韓国人

>>呆れます。

両親が二人ともスタンフォードで博士する時、アメリカで生まれたんです。

 

 

とある韓国人

>>両親がアメリカ留学中に産んで元々アメリカ国籍者だった。

後で取得したのではなく。

 

 

とある韓国人

生まれながらの天才であること

 

 

とある韓国人

私はあの方ほど頭がよくないのですが、中学校までは数学は別に勉強する必要がなく、授業時間に先生が騒ぐことだけでも試験は無条件満点が出ました。

幼い時、数学の点数が出なかったということを見ると、数学は最初から授業を聞かず、本も開かなかったんですね。

 

 

とある韓国人

この子明らかなのは幼い頃もすごく利口だった。

 

 

とある韓国人

天才

 

 

とある韓国人

満18歳の若さで二重国籍放棄を決心、これも書いてください。

 

 

とある韓国人

アメリカ国籍だからアメリカ人です。

しかし、それ以前に数学者から数学者になる過程が興味深いですね。

 

 

とある韓国人

世界的な学者になるためには国籍放棄はよくできたと思います。

フィールズ賞受賞には弘中の役割が大きかったですね。

 

 

とある韓国人

ヒロナカさんがもっと立派に見えますね。

やはり周りの人や環境が大切

 

 

とある韓国人

アメリカ人というところか。

 

 

とある韓国人

重要なことは結局韓国国籍を放棄したということ。

数多くの二重国籍放棄者に一人に過ぎない。

ただその一人がすごい業績を刻むとは思わなかったことだ。

 

 

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